エルサレム和平は既に実現していた!800年前の奇跡
今なお、争いが続くイスラエル、パレスチナ。しかし、約800年前に交渉によって和平を実現した人たちがいました。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝の君主アル=カーミルです。
当時の情勢
ヨーロッパと中東が戦っていました。
十字軍
中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍
一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指す
異文化に理解を示した神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世
異文化が共存するシチリアで生まれ育ったため、異文化に理解を示しました。
当時のシチリアは貿易によりイスラム文化、東方のビサンティン文化、メッシーナ海峡を挟んですぐ隣のイタリア文化が融合して独特の文化を持っていた。幼いフリードリヒは様々な文化を目の当たりにして成長する。
フリードリヒⅡ世 ~つかの間のエルサレム共同統治を実現させた皇帝~ : 鼈の独り言(妄想編)
平和条約締結
外交交渉により平和裏に休戦協定(ヤッファ条約)が締結されました。
アイユーブ朝のスルターン・アル=カーミルは、アラビア語を介してイスラム文化に深い関心を抱く、これまでに聖地を侵略したフランク人たちとは大きく異なるフリードリヒに興味を抱いた。
フリードリヒとアル=カーミルは書簡のやり取りによって互いの学識を交換し合い、エルサレム返還の交渉も進められた。
フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) - Wikipedia
互いが戦う事を望まない事を知った。カーミルは10年間の休戦、十字軍側への聖地エルサレム返還に同意
アラビア語を操り、イスラーム文化を理解するフリードリヒ2世への信頼を深めたアル・カーミルは平和条約に合意します。この「ヤッファ協定」によって、イェルサレムにおいてのキリスト教徒とイスラーム教徒の共存が定められ、1229年から10年の期限つきで、イェルサレムはキリスト教徒に返還されることになりました。
追記
お互いエルサレムで争っている場合ではなかったという好材料もあったようですが、フリードリヒ2世が異文化に理解を示し交渉を行ったこと、そして、アル=カーミルもそれに応え、和平が実現したことを興味深く思い、ここにまとめさせたいただきました。